母が亡くなってから30年になります 私が看護師の国家試験に合格して 母にその報告に行ったのは2日前でした 一人で住んでいたアパートに 電話が入ったのが1日前でした その日の早朝に 姉から電話がかかってきました 東久留米に住んでいた私は 母の入院していた府中の病院まで 自転車で大急ぎで向かいました 電車やバスで行くには面倒過ぎて 自転車のほうが早いと思ったのでした 相当のスピードで新青梅街道と府中街道を走りましたが 病院に着いたのは母が息を引き取った後でした あの日のことは今でもよく覚えています 喘息がもとで、何度も肺炎を繰り返すうちに 肺線維症となり 酸素吸入無しでは全く動けなくなり 45歳の若さで亡くなった母。。。 母と同じような病歴のお年寄りと出会うたびに なぜ母はあんなに早く弱っていったのだろうかと もう少しやりようがなかったのだろうかと 生活環境がよほど体に悪かったのか 性格的に我慢しすぎて 体を大事にしなかったからなのか 今の私があの頃の母に関われていたら あんなに弱ってしまう前に 出来ることがあったのではないかと 今更遅過ぎますが。。。 命日がくるとあの日のことを思い出します
negisun